伊達前にて
本日2回目ですが、少しだけお付き合い下さい。
仙台の方は知っていると思いますが、仙台駅での待ち合わせと言えば「伊達前」
今は無き伊達政宗像は、現在のステンドグラス前で、旅行者をお迎えしていました。
伊達政宗の前=伊達前
今でも待ち合わになると「あーじゃあ明日の15時伊達前ね」
のような会話になります。(えっ私だけ!?)
VIS仙台のブースはまさに伊達前の真横。
毎日多くの方が、待ち人を探して佇んでいます。
しかし見ていると少しいつもと様子がちがうよう。
待ち人との再会をし、お互いに肩を叩きながら「良かった良かった」
と涙を浮かべる人がいらっしゃいます。
私はその度に鼻の奥がツーンとしてしまう。
小さいなドラマが毎日生まれる伊達前です。
バスや地下鉄が通常ダイヤに戻り、買えなかったものはほぼ震災前と同じ様に買えるようになりました。日常は戻りつつある、そんな声を聞きます。
でも心に日常が戻るというアプローチはまた別なのかもしれません。
そしてそこには別のコーディネーターも必要。
私たちに出来ること。
それはこれからも形を変えていくのかもしれません。
長く続く復興との付き合い方、固く考えず眈々と“受け入れる”ことが大事なのかもしれませんね。
おおふじ
仙台の方は知っていると思いますが、仙台駅での待ち合わせと言えば「伊達前」
今は無き伊達政宗像は、現在のステンドグラス前で、旅行者をお迎えしていました。
伊達政宗の前=伊達前
今でも待ち合わになると「あーじゃあ明日の15時伊達前ね」
のような会話になります。(えっ私だけ!?)
VIS仙台のブースはまさに伊達前の真横。
毎日多くの方が、待ち人を探して佇んでいます。
しかし見ていると少しいつもと様子がちがうよう。
待ち人との再会をし、お互いに肩を叩きながら「良かった良かった」
と涙を浮かべる人がいらっしゃいます。
私はその度に鼻の奥がツーンとしてしまう。
小さいなドラマが毎日生まれる伊達前です。
バスや地下鉄が通常ダイヤに戻り、買えなかったものはほぼ震災前と同じ様に買えるようになりました。日常は戻りつつある、そんな声を聞きます。
でも心に日常が戻るというアプローチはまた別なのかもしれません。
そしてそこには別のコーディネーターも必要。
私たちに出来ること。
それはこれからも形を変えていくのかもしれません。
長く続く復興との付き合い方、固く考えず眈々と“受け入れる”ことが大事なのかもしれませんね。
おおふじ