【支える】 名もなき人々のボランティア物語 「愛ちゃんぷる〜」島田治郎さん

たった3分の1。東日本大震災で活動するボランティアの人数は、阪神淡路大震災に比べて大幅に少ない。未曾有の大災害を前に、地域に入り込み活動する個人やNPOにもなっていない団体がいる。マスメディアには紹介されない名もなき人たちの復興に向けたそれぞれのボランティア物語。第1回目はミクシィで出会った2人が宮城県石巻市で立ち上げた災害復興支援「愛ちゃんぷるー」。

「沖縄と北海道からやってきた2人が中心となって、被災アパートを修理して支援活動している団体があるんですよ」。ボランティアインフォのスタッフから聞いたのは6月末。名前は「愛ちゃんぷる〜」沖縄方言で混ぜるというチャンプルーと愛の組み合わせ。世界からボランティアが集まる団体を率いる代表のしまじろうさんこと島田治郎さんに会うために宮城県石巻市に向かった。

半端じゃない団体


石巻駅前の商店街から、旧北上川の中洲に立つ「石ノ森萬画館」を通り抜けると湊町地区に入る。津波旧北上川をさかのぼり、萬画館の周辺の建物を飲み込み、港町地区には漁船が打ち上げられた。
震災から4ヶ月以上たった今でも壊れた家が残り、復興に向けたダンプトラックによる埃が舞う。「ここです」、青いトタンに白い文字で「ボランティア拠点 愛ちゃんぷる〜」の文字がかかれた建物で車を止めた。「こんなきれいな看板あったかなあ」同行したボランティアインフォの大藤多香子さんがつぶやく。アパートに隣接した平屋の建物では木材が運び込まれていた。

「うちは半端じゃない。半端じゃないよ」と横浜から来た青木啓子さんが案内してくれる。聞くと、ツイッターで活動を知り、お金を送っていたが、一緒に活動するためにやってきたという。一度横浜に帰ったが、もう一度やってきた。インタビューしようとすると、留学生のデビットさんは買出しに行くため、野菜の在庫を聞いてくる。
沖縄方言で混ぜこぜにするという意味をもつ「ちゃんぷる」の言葉通り、北海道と沖縄だけでなく多様な人がまざりあっている。

「ネットの力は大きい」


「ネットの力は大きいですよ」島田さんは最初にそういった。仲間はインターネットと口コミで集まった。
震災後にブログとミクシィをやり始め、活動状況を書き込んでいる。マイミクは最初3人。その共通の知り合いだったのが北海道函館市に住んでいる副代表。4人目のマイミクとなり、4月の終わりに石巻にやってきて活動を共にした。「いいかげんで、変なところも気があってさ」。訪ねたときは不在。8月からは勤めていた会社をやめて石巻に合流する。

代表も副代表も石巻に縁があるわけではない。
東日本大震災後に各地のボランティアを転々とした。岩手、福島も、個人のボランティアを受け入れていなかった。福島から宮城県の松島にきて、しばらく活動したがまたもや個人の受け入れがストップ。4月上旬から石巻に通うようになった。
市の災害ボランティアセンターに登録して、泥かきや解体作業、物資の配布に参加した。あるとき、ボランティアセンターから紹介され湊地区を訪れた。家は破壊され、道路には瓦礫が積みあがり、道路には水が残る惨状に、衝撃を受ける一方で「ここしかない」とも直感した。
地元に人に聞くとニーズは小さい。しかし、家には泥が入り、床は腐っている。手伝うことは山ほどあるはず。島田さんとのふれあいの中で住民からは要望が出るようになっていく。地域の人と話し合い、壊れた家を修理し始めた。床を張替え、壁を塗る。作業で見つけた傾いたアパートの持ち主に電話して貸してもらえることになり、石巻に拠点を構えることにした。

神戸に行かなかったのは申し訳ない


ボランティアに参加した理由を聞くと。「いくつもあるんだけど、神戸に行かなかったから。申し訳なくて…」。1995年は目の前の仕事に追われていた。
長野県生まれ。子供のころは地球防衛隊の隊長になりたかった。サラリーマン生活のあと、金沢で独立してホームページ制作やデザインの仕事をした。いつしか食べるための仕事になり、ストレスを感じるようになった。2000年から沖縄に移住。風土が合った。デザイン学校の教師をやりながら、木のサンダルをつくりビジネスが軌道にのった。再び何かやりたい、フィリピンのボランティアに行こうと思っていた矢先に東日本大震災が起きた。途上国ではなくてまず日本からと被災地に向かった。

「ボランティアは最終的には自分のため。だから楽しんでほしい。だけど、自分のことばかり考えているとうまくいかないから、求められることに取り組みます。ここにいる人が何を求めているかが大事。私たちはこうですからというのはおかしいと思う。手伝いをするために来ているんだから」
愛ちゃんぷるーでは、修理などの大工仕事を中心に、リサイクル市、バルーンアートのようなイベントなどさまざまなボランティアに取り組む。
継続的な活動には資金は必要だが、目の前の要望に答える活動をすればするほど、助成金の申請は後回しに… 「申請書を書くために来てるんじゃない。でも、申請をするのが上手な人がお金を持っていく気がする。補助をするほうも現場をまわってほしい」。今は自費と個人からの小額のカンパで活動費をまかなう。

100%完璧な人なんていない


「こんなところで何やってるんだろうって時々思いませんか」と大藤さん。
いくら良い活動をしていても支援が地域に受け入れられるとは限らない、独りよがりな支援と批判されたり、ボランティア同士がトラブルになったり、そんな現実を前に時に心が折れそうになる。
ちょっと哲学的なことを話すけどと島田さんが一瞬遠い目になる。「手伝ってくれている人も問題を抱えていたり、何かを求めて被災地にやってきたりしているんですよ」。被災地では都会では味わえない、連帯感が人を結びつける。「100%完璧な人なんていない。それに向き合うために生きていて、傷つきやすい人がいてもたってもいられなくなってボランティアに来る。そしてボランティアで癒されていくってところもあるんじゃないかな」。

ボランティアのフェーズも変わり泥かきは少なくなり、生活支援に移っていく。「衣食住が整って自立。壊れた家で暮らす人は、生き抜いて戦っている。癒しも必要」。そして雇用や地域の再生にも目を向ける。「コミュニティを一緒に作っていくボランティアになりたい。それが本当の街づくりや復興につながる」。建物はコミュニティセンターになる計画だ。リサイクルショップやエステもつくるという。拠点のすぐ近くにバス停がある。バスを待つ人が少しでも気持ちが休まるようにと、小さな花壇には花が植えられていた。その横を復興のダンプトラックが砂埃を上げて通り抜けていった。


(ボランティアインフォ・アドバイザー藤代裕之)

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